3.11

今日はずっと仕事だった。

最近ずっと寝れないんだけど、朝の6時に就寝し、朝の9:10起床。およそ3時間の睡眠。これが後々響く事も予想してなかったけれど、取り敢えず仕事へ。朝のラッシュ地獄は10時出勤の私にはピークが過ぎてる為電車は快適に座れる、そして音楽を聴く。

およそ6曲聴いたところで到着。

 

2020.3.11 東日本大震災から9年が経った。出勤して、午後2:46、店内BGMが消され、みんなが20秒間黙祷した。

接客中だった私は心の中でする事しか出来なかったが、日本中のみんながこの時間に黙祷をしてるって考えてた時に震災の時の記憶が全部蘇る。

 

震災が起きた時、私は小学校5年生だった。

帰国子女の友達と席が隣で和気藹々と喋りながら授業を受けてたところ地震が発生し、同時にロッカーの物が落下して散乱し、みんなはパニックになってた。勿論ここまで大きな揺れは一切私は経験した事が無かったので死ぬ恐怖であった。

机の下で隠れてる間、帰国子女の女の子はずっと過呼吸で泣きながら母親に会いたい とばかり呟いていた。

教室から移動しても余震があり、移動するのも困難だった。たどり着いた先は保護者が迎えに来る図書室。そこでも余震は止まらない。

流石に小学校だった私も状況が全く理解できず、皆んなの泣いてる声、親たちがパニックになって泣き叫んでる声などが聞こえた。凄くまだ記憶に残ってる。

私の母親が阪神淡路大震災を経験してたので

一番恐怖に陥ってたのは親であろう。

 

テレビに映るものは東北地方の津波の映像、

揺れながらもアナウンサーが冷静を必死に保ちながら現状を伝えるニュース

震災から一週間経つまでは津波の様子がテレビに映し出されてた。それも、波にのまれる犠牲者の方も何人もうつってしまってて、見た時に悲しい気持ちをはるかに超え、なんも言えない気持ちになった。

 

平和な時に何かが起こる。それを予測しないで私たちは生活してるもんだから何かが起きた時の心構えが永遠にできない。けれど気にしてたら生活できない。矛盾な事しか言ってない。

 

今日は体力も使い切ったし、色んなことを思い出して精神的な面も疲れた。 今日は朝まで起きないで寝れそう。明日もいつも通り今日と同じく仕事だ。

 

人間は今日も明日もずっと、何気ない日々を過ごす。 いつ欠落するか分からない世界の中で生きてる事を忘れてはならない、と改めて教えてくれた1日でした。

 

おやすみなさい。

 

震災で犠牲となった方々、どうか安らかに。