せいかつ

1ヶ月は永遠に過ぎていくし、よくよく考えたら緊急事態宣言が出されて引きこもりの堕落的な生活からもう半年過ぎてたことに気づいた。

 

発令された時は人のことどうでも良く感じる私でさえも、人の事について不安になる時間が圧倒的に増えた。人のことを考えるようになった。それも過剰に。朝まで音楽聴くか、友人の声を聞いて下らない話から真面目な話、最近の恋の話を聞くだの、結末が気になって気づいたら朝を迎える、これが堕落的だとすれば今少しばかり羨ましく感じる。

 

少し復旧したかもしれないが、慌てたら全てが崩壊し水の泡になる もがいても、もがいても、じっとしなきゃ行けない時と、行動しないといけないとき。そのタイミングだなんて今の自分にはわからなければ国だって分からない。

 

暖かい料理、日差しの良い天気、縛りのない生活、昼まで睡眠、散歩をする高齢者、心を掴むような音楽、そして素晴らしい人間、暖かい人

そんなモノに日々憧れるか、見て安心するか。今は特に現実的なモノから背けたくて、非現実なものばかりに憧れる。そして非現実的なものを考えてる人に惹かれる。とても美しい。

 

感情や憧れを持つのはやはり余裕を持っている人。どんな境遇にいても、自身の想いを貫いて本人らしく居る人で、その人は棘のない人間って言えばピッタリかもしれない、とりあえず それになりたくて今自分は必死です。 

 

 

 

 

怒りを覚えれば、悲しみさえも残る

これはよく知り合いが言う言葉。

 

なーんにももう不満なんてないですよう。って適当に言ったって、朝まで知り合いといて帰る1時間徒歩の道は朝方、気づけば充電は3%で何を感じてるのかわからないが中途半端に泣いてた。それは怒りもあって半面悲しい気持ちもあって、それを聞いてた曲がたまたま変な気持ちになって。まぁ簡単に言うと、曲が良過ぎた。

一々どの曲とはいいませんけれども、私が本当に好きなバンドで、喜怒哀楽がピッタリなバンド。

 

喜はシンフォニアみたいな優しさがあって、怒は取り敢えず何かしら歪みまくってて、哀は歌詞が生々しくて痛々しく、楽はとてもこころを優しく包み込んでくれる。そんな感じ。これが形成されたら人間だ!だなんて思ってたけれど、まぁ人間が作ってるから当たり前か。だなんて思ったり。

 

躓くのはもうこの先いやなほど、死にたいくらいあるかもしれないけど一つ一つの幸運や悲壮が合わさって、天秤にかけまくって、それを自ら消滅させて、っていうのが永遠に続く。あー疲れる

けど楽しいことだって学ぶことだって嫌なほどあるもんね。

そう思えば日々楽しくなるんじゃないかな。

 

今日も暖かい日を。

 

悲しかったことは叫んで喚いて蹴散らして、人の温もりを感じたらそれに存分甘えて、無理をせず、沢山の幸せを求めて明日も一日頑張ろう

 

おやすみなさい