素晴らしき思い出
寝れない時はブログを書くといいって誰かから言われたから、書こうと思う。
生活の一部は音楽と私が思い描いてる世界について考える事だ。そう簡単に何もかもがうまく行く訳ではない。自分が今本当に幸せだ、と感じている時
いきなり不幸が訪れたり 人から嫌味を言われたり、人に振られたり、信用していた人間が軽々しく裏切ったり、感情と言うものは忙しいものだ。常に楽しいだけでは生きていくのも困難だという事が最近わかった。
ちょっと昔の話をしようかな。私が素晴らしい思い出だと思えた事を少し綴ってみようと思う。
前回は中学の話をしたので今回はもっと記憶が鮮明に残ってる高校時代の話を。
中学の頃、あんまり好きな人以外絡むのが好きじゃなかったので一度真っ白で誰も知らない人と1から関わってみようと思い、誰もが通いもしなさそうだった所を受けた。
勿論、その学校は私の総合内申は全く届いてなく、8個くらい平均に足りていなかった。
家から1時間半もかかる学校を受けるだなんて、今考えたら本当に意味わからない事だ。
けどここに通ってから3年間で本当に濃いものがたくさんあった。
姿勢が悪い私は一日10時間以上塾に拘束されたことによって異痙攣持ちになった。
それは今でも変わらないが、プレッシャーやストレスに耐えれなくなってしまうと毎回胃痙攣を起こして立てなくなる。
そんな中、合格をした私は合否発表当日、
開示時間を1時間間違えてしまい、
寝坊して起きた私はもうこの人生終わりだ と思いながらも車で学校へ連れてってもらった。
しょっぱな情けない、半泣きしながら受け取った封筒の中身は重く、
あれ?と感じながら開けた結果合格だった。
まだシワの一つもない制服を着て入学式に行った時、この子少しヤンキーみたいな見た目してんな。
なんかこの子地味だな。
なんかこの男の子はモテそうだな。
とかそんなことばっか考えながらも入学。
公立高校というものは変なところで厳しく、変なところで緩い部分がある。
自分は特に地味だったし適当に友達と関わった。そのときに出来た4人の友達は私を含めたら5人、そう、奇数だ。
奇数というものは揉める事が多い。
高校一年の中旬に泣くほど喧嘩もした。しすぎて、授業の6限あったうち4限は生徒相談室で話し合ったり、サボったりした。
深い思い出である。
私はなんとなく軽音楽部に入った。
その時フジファブリックの夜明けのBEATをどうしてもコピーしたくて、そこらへんにいる同期に右も左も楽器がわからない人間に無理やりやらせた。
結果全員抜けられた。
あいつはめんどくさい と言われ結果1人に残された。
その時、私のことが嫌いだった小笠原という人間が適当に私に声をかけてきて
なんかよくわかんないけど2人でやるか、
うららのためにも と言ってくれたおかげで小笠原とバンドを組むことになった。
ツーピースというものは難しいものだ。
いま私がツーピースのバンドをやっている人間だからよく分かる事で、音数は少ないし、小笠原ギターバカ下手だったし、なんだこれ、自己満すぎるわ と思った。
そんなん関係無く、2人で適当に練習して偉そうな口叩いた私も受け入れてくれて、
なんとか引退までは2人でずっとやってきた。
高校2年あたりから個人的な話だが本格的にライブハウスに顔を出すことが多くなった。
その時私が付き合ってた元彼のライブをどうしても見て欲しくて小笠原に誘って強制的に一緒に見に行かせた。
あいつが言った一言は
"なんかカッコよく見えちゃうし私がキュンキュンするわ"
って言うのは、なんかよく分かんないけどそうなんかな?とか思いながらも小笠原がライブハウスに触れる機会がとても増えた。
やがて夏に、そいつと私は別れてしまい、
小笠原に突然 今日の放課後カラオケ行かない?と言われついて行った。
そのときに何故かコレサワのタバコとsaucy dogのいつか、クリープハイプばかり歌い続け
何故か同情し始めたらしくお互い号泣しながら歌ったのをすっごく覚えてる。
今考えたら本当に甘酸っぱい思い出にしか過ぎない。
そんな中で私は付き合って、別れてを繰り返す中、
自分の価値観を下げていくのを知った
メンタルが落ちこぼれ、何もかも生活の中で粗末にする挙句何回も怒られたし、
適当な生活ばかりしてたせいで学校は毎回遅刻、
もしくは無断欠席を繰り返し担任や顧問に何故か校長室に呼ばれ
一枚で大丈夫なはずの反省文がペナルティ多くついてしまい4枚ほど書かされた。
反省文の中で書いていた言葉は一つ一つそのときになんとなーく思ってた事を適当に書いた。
高校は学びの場であるが、人間性や自分の本性というのも良く知れる場であった気がする
高校の中でグレてた可愛いヤンキーとも出会って悪いこともしてきた
授業中、トイレに行くと嘘をつき、
友達と軽音楽部の通称秘密部屋、天井に階段がつながっていてそこを拠点とし、
話してた時にそいつがサーモスの水筒を出してきて不味そうに意味もないよくわからん濃いアルコールを飲んでた。
"これを飲む事によって今の現実が全てゴミに見えるぞ" と言っていた。
わたしはそれは無意味だなと分かっていた為、それは自分だけで楽しんで と適当に言って流していた。
そいつは周りと違ってロックな音楽ばかり聴いていた。
お前が尖ってる性格とドラムが大好きだと言ってくれた。
そいつはよく反感を買って胸ぐらを掴まれ、
そこまでキレたくもないのに強がってウルセェと言いプルプル震えた手で胸ぐらを掴んでいた。
可愛いなぁこの人 ってずっと思ってた。
中身は空っぽなのにこうやって感情的になったら強がってヒヨコが頑張ってピヨピヨ鳴いてるような感覚。
蒸し暑い夏の時、校内で楽しそうにイチゃついてるカップルや告白前で匂わせてる男女を見ながら反吐を吐き散らかしてた私達は違反である自転車で2ケツをし、一本逃したら1時間半ほど来ないバスを待つ為に二駅版飛ばして駄菓子屋でブタメンを買い、
そこでずっと夜になるまで話していた。
楽しかった。
時間はあっという間に過ぎていくことばかりだ。
高校3年になり、私は本格的にバンドを生活の中でやるようになってライブの本数は増えるわ、夜帰ってくるのは遅いわ で学校に行く機会が本当に少なくなっていた。
仮病を使い家でダラダラした事もあったし、自分が嫌になって学生なんてクソくらえ、大人クソくらえ ってことばっかり考えていた。
バンドマンピアスたくさん空いてるな、耳たぶを増やそう、開けよう。
そうやって調子乗って開けていくうちに体育はピアスが校則違反であった為、
着けてはならないのに私はその時既に7個開いていて、マラソンをする際に死ぬほど先生に注意されてもスルーしていた。
成績がさがった。 友達も"最近のうらら 大丈夫かな" とか言ってたな。
そんな程度の悪い人間になった中、その時の生徒会長と、私には無縁のジャニーズオタクが私に関わってくれた。
バンドとは反面、しっかり女の子の生活をしていて、生活も落ちこぼれる事もなく、好きなものに必死であって、しっかり我を保ってる彼女たちの事が凄く好きであった。
その子たちのおかげで学校とバンドマン生活のオンオフの切り替えがはっきり出来た。
今だから言えることかもしれないけど、
学校生活は自分のしたいことはもちろん優先するのは大切なこと、けれどそれを目にかけてくれる人は本当に少数であることだ
簡単に仲間にできると思ったらそれは大間違い
今例えばバンドにお金をつぎ込んで学校を適当に通おうとしてる人間全員、自分だけを失わないでね と思う気持ちがある。
高校3年間、生涯忘れることのない素晴らしい思い出が沢山あったと思う。
良いこと、悪いことも、それがあったおかげで今の自分がいる気がする
自分だけの世界と、自分とは真逆の行動をしてる人間と関わること、仲良くすること
すっごくこれから重要になっていく事だと思います。
長々と自分がしたことを書いただけだけれど、人と触れて喜怒哀楽生きていく事はすごく楽しいことです
これからも色んな人に出会えますように
おやすみ。