10/10
ベイキャン以来からサボってました。
そんくらいに毎日は退屈しながらも楽しい日々もあればクソほどへこむ日も多い。ある意味全部まとめて退屈なのかもしれない。
気候は不安定、ここは日本なのかと思うくらいに天気が毎日謎だ。冷たければ暑苦しい日もあるし
今日は寒いなあ、空は青いなあ、変な色してんなぁと思えばもう勝手に一日は終わっている。
最近はいろんな人に会う。 というかいろんな人の会話に触れることによって自分の人格がよく分かってくるし、反省する事も出来る。そんな日々。
最近思う事が一つあって
自分の職場が今ハロウィンのイベント一式で"盛り上がってる風"なんだけれど、考えてみれば日本の若手や年配はそれについて行けてなく、季節の流れに身を任せ、流行に乗ることもできず、プロモーションをどこまで頑張ったとしてもその行事一色に染まることはほぼない。そこは日本の冷たさなのかもしれない 携帯、SNS、社会問題、他どうでも良い問題に頭を悩ませてばかりで人間本来の楽しさを忘れてる気がする。ある意味寂しく思う
去年から感じ始めてたれどクリスマスの時、
わたしが小学生の頃近所の家がイルミネーションをやっていて クオリティもかなり凄くて、それを真似て近所の家も小さい灯りでイルミネーションをしてた。それを毎年歩いて見に行ったり車で連れてってもらったりしてたのに、時代が進む毎に気付いたら周りがしなくなり、色のないクリスマスになっていた。
希望の光はよみうりランドとか、ディズニーしかなくなってた。
テーマパークという非現実世界でしかそういうのもしなくなってしまった。
謎に冷たいものだ。こういうものこそ風化してるって言える気がする。
花火もそうだ、花火が見たいという理由で会場に行く人も居れば今はそれを見てる人間と波長を合わせに行くために顔を出す人も多そう。
音楽も同じだ、音楽を聴くためにライブに来る人もいれば、取り敢えず名前聞くし友達がそこに行くしまぁ行くか みたいなノリの人も増えてる
実際そういう人は音楽聴いてるよりかは人間性を見るために見てそうな気もするな。聞いて満足してくれる人がいればそれは尚嬉しいものだけど。
炎上商法に引っかかって面白半分で観に行く人とかもいる訳だし、みんななにを考えて行動してるのかっていうのが正直伝わらないし分からない。名前で売ってるか、音で売ってるか。
具体的に何が言いたいのか纏められてないし散らばりすぎてるけれど、最近はみんな流されすぎな気がする。中身を見ないで外見だけをみるのが好きなのかなと不思議に思ってしまう。
自然を見ることに感動する人の感性、映画を見て泣く人間の感性、音楽に対する感性
それが減ってきてる。
もっとそんな人が本当は欲しい。
私がそれを理解できてるだなんて1ミリも思わないけれど、私が心から尊敬して心から愛せる人はそれが優れてる気がする。
最近は自分の感性で"人に嫌われる恐怖心がある"というのはもう辞めてしまいたい。いったん自分に自信が欲しい。周りがなにも影響するものがなければずっとこのまま記憶がきれいに風化されてしまう。
皆さんいろいろ頑張ろう