思い出話

今回は高校生だったときのお話です。

 

 

高校一年生、私は中学時代嫌な思い出があった為、自分の中学の人間と繋がりがなさそうな高校を死ぬもの狂いで勉強し入学した。

 

初めての高校の環境、私は中学の頃に放課後制服で自由にミスド行ったり喫茶店いけたり、ふざけてゲーセンでプリクラ撮れるキラキラの放課後生活を夢見ながら高校生と言うものになった。

 

結果、その通りで高一は放課後、最寄りの駅の小さいゲーセンで最新機種のプリクラを友達とよく撮りに行ってた。その時の落書きがFJK。ケンタッキーみたい。(略称はファースト女子高校生。)

 

その時、私のクラスで仲良かった"イツメン"って人が私を含め5人。

奇数は運が悪い。何かと意見を言わなければ、どこかで孤立する。永遠に5人が一斉行動する事は不可。

その為、お昼の時間は廊下の地べたに座り、五人みんなで輪になってご飯を食べた。 その時の先生の目線が凄くて、そこだけ気にしてた。

 

喧嘩が絶え間なく続き、授業が6時間もあった中、5時間も呼び出しを喰らい、誰もいない移動教室の一室で先生と何度も個人面談とかした。 友情は一人一人事情聴取しないと信じられないらしいです。

その時には謎に人間不信に陥ってました。

 

そんな中、高校二年生になり

ずっと他クラスで仲良かった人間と同じクラスに。舞い上がってたのも束の間、何かと当時、独占欲の強かった私は、他の女の子と仲良くしてるのが不快であった為その子と不仲に。

その直後に修学旅行があった。

たまたま民泊のメンバーがかなり壮絶で、修学旅行あるあるの、深夜恋愛話がスタートするかと思いきや皆さんそれぞれの彼氏とのビデオ通話が始まる。

 

え?部屋を暗くして、みんながキュンとする話をするんじゃないの? とか思ってた自分がどこかに居たらしく謎にショックを受ける。

 

居ても経っても居られなくなった自分は、民泊先の海の見えるバルコニーに避難し、当時のバンドメンバーに爆電をした。空気が綺麗で、あちぃんよ

と言ったら 知らん、こっちは寝る と言われ電話を瞬殺で切られた。その直後に民泊先のオジイが私を目撃。トイレ怖いけど、ごめんね。あ、気をつけて寝てねと言われ、 トイレ?となりながらも部屋に戻った。

段々トイレが行きたくなり、便所へ向かった。かなり暗くて、綺麗じゃなくて、たどり着くまでに暗すぎて携帯の懐中電灯だけでたどり着いた。デカいクモが居て室内で発狂。友達に連れション申請をしようとしたが、みんな翌日のクラスダンスに必死で誰一人聞く耳を持たず。

 

そんな中翌日を迎えた。

その日は美ら海水族館に行った。回る人間が居なかったので、さほど仲良くない人に 一緒に回ってもいい?って聞くと

うーん、ちょっと○○ちゃんに許可とらないとなぁ、ごめん と言われ

承諾???部長か?というツッコミが自分の中である中、振られたのである。

ちょっと学校でプチエセヤンキーの女の子がその時居て、一人でサトウキビアイスを食べてたらその子がベンチの横にきた。

 

そいや、最近釣り合ってる男タチ悪いんだよね〜

 

この話から始まった彼女の話で盛り上がり、その日の外行動は終了。

 

翌日、オジイとのお別れがつらくて私はバスで一人

号泣、飛行機に乗り帰宅した。

 

修学旅行の思い出はこれしかほぼ無い。

 

2年はなんとなくグダグダのまま一年が経ち、遂に高校三年生に。

 

四月の始業式から私の私生活はグダグダで、ライブの本数も多かったのか、遅刻回数が年内半分を超えていた。あと、制服登校なのに、よくわからないフリースを着たり、ストックモンキーのデカい靴下履いて登校するなど、自由奔放な学生生活を送っていた。その時に仲良かった生徒会長、私が一切話題を出さないジャニーズオタクの女の子とずっと一緒に居た。

 

体育推進学校であったので、マラソンが毎度地獄であり、真冬で少し雪や雨が降ってても短パンと半袖で1時間走らされる。 平均最低時間を超えた場合、追走となる。そのペナルティが嫌だった為、無我夢中で走り続けた。

友達は走る途中に永遠とちゃんと覚えてもなさそうな下ネタを発してくる事が多かった為、困惑した上に体力続かず、ギリギリのタイムで更新、やがてゴール。

 

あとはプール大会。私は20mも泳げない水泳音痴だったので毎度大会ではビート板競走に出場。

一年から三年まで、見事な最終位であった。

もはやそれがクラスの中では当然の扱いになっていた。悲しい。

 

そんな中で成長し、今ではフリーター2年目である。仕事を変えていき、自分に合う環境を探す。

いろんな経験があるからこそ、違う自分を探す事も可能になった。

学生時代の話が今では書いててクスクスと笑えるようになってきた。これで成長できたといえるのかしら

 

寝ぼけてこのブログの文章だけで二日かかりました

 

良い夢を 

 

 

 

無題

五月もなんだかんだ終わりが近づいてきた。

かといってまだ17日だけれども。

この数ヶ月思うことや、受け止める言葉は凄く謎に重みを感じる。一つ一つの言葉がいかに重要なのか考える時期になってきた。

自分が信頼する友人から、

"後悔してるダサい奴は死ぬほど見てきた。他人、世間、あるいは全てにおいて。そんな風にならないでね。意外と若い決断って大事なんよ"

と言われ謎にハッとした。

 

落ち着く曲を聞くと謎に焦りが出る。

本音を言うと謎に自分が思ってることを紛らわせる為にあえて安心する曲を聴く。暴力的な音でもなければ、繊細で、心が落ち着く曲。

 

決断を一つ下してしまうと自分の人生がガラリと変わる。そんなのを毎日どうしたら良いかと頭を悩ましてたら一日が終わる。

気を紛らわすことをしても無駄、出来事に直面して戦わないといけない。

そんな自信が今あるかと言われればそんなの心に余裕がない。弱い自分が嫌いなのでへんに誤魔化す作業。正直な君がみたい、と言われまくる日々、話す言葉が正直じゃないのですか?と質問したくなる

 

因みに先日、元々生活を拠点としてた所から実家へ引っ越した。そこはセカンドルームという扱いだったけれど、一人になりたい時に沢山時間を費やした場所だ、今となれば、色んな人と会って時間を費やし、会いたい人に会って心を満たし、大切な場所ではあった。

生活基準が乱れてる事も忘れてしまうくらい、自分は洗脳されてたのか、と思うくらいに

人の優しさに触れる時間が多かった気がする。

自分の感情を共有する機会が本当に多かった。

この発言はかなり自分勝手に聞こえるかもしれないけれど。

 

住みにくい環境ではあったけれど、好きな時間に色んなことが出来ることの緩みに満足していた。

けど、ただそれが自分の幸せなのかと言われたらそうじゃ無い。

 いくら自分が求めてる人に会ったり、時間を費やして一日を過ごしても一日自己険悪に襲われる日は沢山あった。それは毎度悪夢の日って勝手に思ってた。縛りというものは必ずとも必要。

少しでも自分の中で何かを規制させないと、何でもアリ、何でも許す になってしまう。

そんな自分も見るに耐えられない気がした。

 

思い出は一つ一つ大切である、貰ったもので大切にしてたものは思い出の一部って勝手に認識しててもいまとなれば唯の素材ゴミに変化する事がある。

 

この数ヶ月で沢山感じることがあった。何故か悪いことも良いことも学んだ。クソガキが何を語るんだって話だけれども、この十代の自分が死ぬほど沢山経験できたことを胸に抱きしめて、自立する為の材料を集める為の旅に出るだけ。辛いことじゃ無い。

前に進んで、よく無いことは自分で判断して、努力すれば良いだけ。毎日思うことです。

 

毎日同じ夢を見ます。前は夢を覚えることができなかったのですが、何故か今では鮮明にすべて覚えてます。これはどういうことを意図するのかが気になりますが。逆夢というものは一体 って思いますが寝ることを優先して今日も眠りにつきます。

 

みなさんが楽しく過ごせます様に、自分も

すでに生活には満足して楽しい日々を送ってる(気がする)が、いざ悲しいことが起きたときには対処ができるくらいの身構えが必要、それを踏まえてもう一度リセットして考えよう、という期間。

 

全く何にもわからない職業に来月つくことになる。

右も左も分からなければ、自分の脳みそはポンコツだ。不安ばかりだけど常に新しいことにチャレンジする、それが自分の価値観がどれだけに値するのかっていうのを自覚できるものだと勝手に思ってます。

 

おやすみなさい、今日も夜更かし、最高の音楽を聴いて気づいたら意識を失うであろう、良い夢を。

近況報告だけの日記

皆さん元気でしょうか。

 

 

暗いものを見ると心が腐敗しそうだったのでSNSの見る回数を減らしたり、なるべく自分が普段しない趣味をしてみる試みなどをしてました。

 

他にはいろんな人を怒らせました。

人に怒られないと気づかない人間なんですけど、

人を怒らせた後に私が全く今まで何も考えない人間だったのかもしれないな、とこの期間のお陰で考える時間が膨大に増えました。得るものはあるけど一つ行動間違えたら失う事もある 押し付けがましい性格もどうにかしたいです

愚行ばかり繰り返さないように今はじっと先のことを考えるばかりです

ちゃんとした人間にならないとなぁ

現実から目を背けたらアウト

自分いつも逃げがちなので

先のこと考えて行動しなかった人の末路って思うと

ふぅん、だから、で? ってなるような文面ですね。

まぁそんなことはいいや。これは約束の日記みたいなもんで自分に言い聞かせてるだけかも。

 

それはさて置き

 

 

この間モッコウバラが満開に咲いてるのを見て

今の環境下でもこんなに綺麗に咲いてるのが不思議だ と思うくらいに、自分が現実にいるとは思えないような思考までたどり着きました。

花って、そっか、咲くのか。ってつい思ってしまったくらい、外に出る機会が無くなりました。

毎日仕事することが嫌だったのに今となれば仕事したいって言葉を発するくらいになりました。

(実際就業開始になるとまた駄々こねてそう)

 

友達や大切な人に合わない分、連絡頻度が増えました。最近話してなかった人たちに元気?とか

生きてる?とか、そんなの感染病が流行る前だったら どうでも良いことだなと思えるのに、今となればその言葉だけで一日頑張れるというか。

最近はおやすみ、おはよう だけで元気になります。 この感染病が流行ってから思うことは言葉一つ一つの重みを実感することです。

日常茶飯事だったことがいまとなれば不自由な事が増えて、些細なことが贅沢に思えてきます。

 

普段だったらできない夜更かし、

カーテンから漏れる小さな光で、朝になってしまった絶望感に浸りながら暗い音楽をなぜか聴いて寝るっていうのを絶対に普段なら出来ないことをやってます。これも何故か私の中で地味な贅沢の部類に入ってます。変なの。

 

好きなところで歌う、好きなところで表現する

そんなことが今簡単に出来ない世の中です。

 

早く外に出たいなぁ。

 

 

ここで、日記をつけてばっかりだと結局 今日は何もなかった、ずっと寝てました 映画見てました

とかだけになってしまうから、できる範囲内でドラムのコピーの動画を載せていこうかと思います。

 

なんだかんだ地味に編集時間かかるので、、、

1日一本程度出せたらな、ぐらいに思ってます。

 

自分も何を叩けば良いのかわからない状態です。

なんかこれ叩いて見て欲しいなって曲があれば気軽にDMとかでください。後ほどInstagramの質問で募集しようかなとか思ってます。

意外なことやりたいけどそれが何かも分からないので。教えていただけたら嬉しいなぁと。

 

お家でも音楽の環境があることに感謝

毎日何かに触れて、新しいことを模索して、

自分を見失わないように

 

 

 

みなさんどうかご自愛ください。

生活

皆さん元気ですか。

何かとわたしが生きてないって勘違いされがちですが全然普通に生きてます。どうも。

完全にお家にこもって大人しく自宅学習してください というようなものになってきました。

わたしは精神どれだけ強く生きれるかっていう課題をクリアする為に何かと頑張ってます。

この時に強く感じるものは、人って顔を見て会うだけで凄く幸せだし、面と向き合って喋るだけで心が落ち着くと言うことにより気づかされるという事です。

それは友達とかに限らず、大切な人だったり、自分がよく会いたがる人間に対して。

今とっても素直にいうと寂しい気持ちです。

色々な人の話を聞きたくなってしまいます。

色々な企業が大変になってる世の中、ライブもできず、お互いステージに立って演奏できないことをミュージシャン同士で励ましあったり、そういう支え合いがないと強く生きれません。ネットでは罵倒されてる人も中には居るので、それを見ると時々他人事じゃない気がしてきて身震いする日々です。

今年になって、自分が本当に個人的に好きで、憧れだった方々と話す機会が増え、自分には見えない世界だったり、知りたくなかった事までも綺麗に知ることとなりました。

 

私は視野が狭いです。キャパが狭い、というところでしょうか。

目の前に見えてるものを信じてしまい時々それを鵜呑みにするような性格をしています。

この間は人を信じなかった事で傷つけてしまったり

そういう事があったからこそ、自粛期間というものは深く考えさせられるものとなります。

人と関わるのがどれだけ重要なのかっていうのを再認識しました

 

想像力が無ければ生きていけない、最近そう思います。知らないところで、自分の自覚がないまま人を悲しませてる可能性もあるので。私はよくあります。

 

人に会えないからこそ、人と対面して話ができないからこそ、その人の内面や表情を窺う事ができない訳です。これは結構シビアな話かなと思います。

結構きついです。個人的に。

 

外に出て花見をしたい、自然に触れたい

大好きな友達と沢山笑って、泣いて、とかしたい

 

私の年上の友達は常に酒を飲んだら誰かと結婚したい、勢い余って入籍したい、知らんけど、それが一番ハッピーだろ

とばかり呟いてます。これくらいハッピーガールになれたら幸せなのになって思います。彼女が羨ましく謎に輝いて見えます。

 

 

 

あ。あと、ライブもしたい。これは本当に。

 

キャンセルで観にいけなくなった方々、私たちもライブが本当の、本当に したいです。

このコロナがいつ終わるかはわからないけれど、

終息した後のライブ一本目はただのフラストレーションをブチ撒けるような感覚になりそうだけど、

平和というものに愛を掲げて音を奏でられたら嬉しいな、と。それまで私も強化期間としますので。ご理解と応援の方よろしくお願いします。

 

"人には愛を、人には優しさを"

 

これよく言われるので大切にしていきますね

 

 

p.s. zoomのお誘いお待ちしております。

 

いい日々をお過ごし下さい。気持ち無理せず。

辛かったらいつでも話しかけにきてね。

 

"music is a weapon"

 

 

無題

外に出ても暖かくてじっとして居られる季節になってきたので一人である河川敷に行ってきました。

花粉症が酷いのでマスクをしながら。

 

今の生活が恐ろしいくらいにつまんないし、じっとしてたら意味もわからなく体調壊すだけだったのでこのタイミングで、って何故か思い外に出ました。

犬を散歩する人、カップルで写真を撮り合う人たち。なんかよくわかんないけど川に石を投げてるおじいさん。何となく水の音と人の声、微かに香る水の臭さ、自然の匂い、それに全て感化されてる自分がなんか不思議な気持ちになりました。

私は作曲者でもないのでそこに行ったところで何かネタを採取する事も無いのですが、こんな世の中だし音楽でも聴きながら片手にリプトンのレモンティーをストローですすり、じっと3時間音楽を聴きながら座ってました。気づいたら夕方でしたね、人に呼ばれたので後にしましたが唯一これが楽しい時間でした 

最近何があったっけ、ってぼんやり考えてたらなんかいい事は特になくて、結構落ち込む事ばっかりだったので何故かそこで勝手に悩みを自己解決して去りました。人に左右されて生きるような人なので、

何かと自分は今何を優先して生きてるのかなとか、案外くだらないけれど考えるその時間が一番重要だったり。 なんだこれ。 とりあえずおすすめの観光地です、行ってみてね程度で今書きました。

自分だけの場所にしたいので気が向くまで何処かは秘密にしちゃおうと。意味わかんないけど。

 

最近ameba tvのnews動画を見るのにハマってます。ハマってるっていうのはおかしいけれど、今の社会だったり、不自由な暮らしをしてる人を取り上げたり、世の中であまり知られる事の無い人たちの悩みを取り上げた記事とか。

知らないところで自分よりもっと困った人がいるな、と 勝手に社会勉強の感覚で見てるのもよく無い気がしますが、一度みなさんも見てほしいなと思います。

今はどこの媒体も感染病の記事ばかりですが、個人的にはその話よりもっと刺さるものでした。みんなが求めてるモノを持ってる人間でも、悩んでる人がいるんだなと。トピックの動画、全て見ましたがかなり衝撃的なものばかりです。

まぁこれ以外にもあるんですけど、動画の関連で沢山出てきたりするんで時間ある人は是非。

https://youtu.be/-mQJqUVEyGE

 

そんなわけで朝から重い話ばかり書いてた気がしますが、落ち込まず何か自分にプラスになるような事を一つずつしていく事で何とか失踪せず生きてます。楽しい事をしよう。不安事は捨て、一つ新しい事を始めよう その方が良い

 

 

以上さのでした いい一日を

 

3.11

今日はずっと仕事だった。

最近ずっと寝れないんだけど、朝の6時に就寝し、朝の9:10起床。およそ3時間の睡眠。これが後々響く事も予想してなかったけれど、取り敢えず仕事へ。朝のラッシュ地獄は10時出勤の私にはピークが過ぎてる為電車は快適に座れる、そして音楽を聴く。

およそ6曲聴いたところで到着。

 

2020.3.11 東日本大震災から9年が経った。出勤して、午後2:46、店内BGMが消され、みんなが20秒間黙祷した。

接客中だった私は心の中でする事しか出来なかったが、日本中のみんながこの時間に黙祷をしてるって考えてた時に震災の時の記憶が全部蘇る。

 

震災が起きた時、私は小学校5年生だった。

帰国子女の友達と席が隣で和気藹々と喋りながら授業を受けてたところ地震が発生し、同時にロッカーの物が落下して散乱し、みんなはパニックになってた。勿論ここまで大きな揺れは一切私は経験した事が無かったので死ぬ恐怖であった。

机の下で隠れてる間、帰国子女の女の子はずっと過呼吸で泣きながら母親に会いたい とばかり呟いていた。

教室から移動しても余震があり、移動するのも困難だった。たどり着いた先は保護者が迎えに来る図書室。そこでも余震は止まらない。

流石に小学校だった私も状況が全く理解できず、皆んなの泣いてる声、親たちがパニックになって泣き叫んでる声などが聞こえた。凄くまだ記憶に残ってる。

私の母親が阪神淡路大震災を経験してたので

一番恐怖に陥ってたのは親であろう。

 

テレビに映るものは東北地方の津波の映像、

揺れながらもアナウンサーが冷静を必死に保ちながら現状を伝えるニュース

震災から一週間経つまでは津波の様子がテレビに映し出されてた。それも、波にのまれる犠牲者の方も何人もうつってしまってて、見た時に悲しい気持ちをはるかに超え、なんも言えない気持ちになった。

 

平和な時に何かが起こる。それを予測しないで私たちは生活してるもんだから何かが起きた時の心構えが永遠にできない。けれど気にしてたら生活できない。矛盾な事しか言ってない。

 

今日は体力も使い切ったし、色んなことを思い出して精神的な面も疲れた。 今日は朝まで起きないで寝れそう。明日もいつも通り今日と同じく仕事だ。

 

人間は今日も明日もずっと、何気ない日々を過ごす。 いつ欠落するか分からない世界の中で生きてる事を忘れてはならない、と改めて教えてくれた1日でした。

 

おやすみなさい。

 

震災で犠牲となった方々、どうか安らかに。

数日の出来事

最近朝の5時に就寝するようになりました。特に帰りが遅い訳でも無いのですが、今後の事で考えると上手く解決するまで寝れなくなってしまった。

承認欲求という言葉がある。それは誰かに話を聞いてほしい、求めて欲しい

そんなことを内心考えてる人も微々たるものだけどあるかもしんない。作曲も、演奏も同じで

楽しんで欲しい というものがあるのは当然、それ以外に存在価値を認めて欲しいっていう少しわがままな部分が私にはある。

褒めて欲しい、とかじゃなくてね。こういう事を言うと少なからず"ダサい"って言ってくる人が居ると思う。気にしません。

 

バンドって凄く忙しい、生活基準がとても不安定、だらしない、そんな感じに思う人が多いと思います。偏見かもしれないけれど、しっかり就職してる会社員がバンドに無関係な人であれば少なからず"不安定''という言葉が思い浮かぶのかなって思います。私が仕事してる時にミスをしてしまって、怒られたのは良いんですけど、上の人に"大学生より楽してんだから、学生の人って凄いよ、あなたなんかより"って言われた時、やっぱバンドやってると意味わからない事で傷つくな って思って。

勿論学生もそりゃ大変だ。学生は勉強をしながら拘束時間が長く、終わって仕事行って帰ってきて、また翌日早く起きる という日々。私たちに比べたら生活はちゃんとしてるし、しっかり励んで、仕事して、って 一般からみたらそれは安定してる。

私たちにいちいち言われることは将来性の話だ。

勿論私はだらしない。こ綺麗にしようとしても、いろんな部分でだらしなさが出てくる。

しかも私は学生ではない。音楽に専念したい、という理由で行かない。自分の時間がたくさんある事によって、考え事する時間も沢山増えたし、社会がもっとどういうものなのかも、良いところ、悪いところで知ることが今のところできてる。

死ぬほど辛い思いもしたし、人間関係で揉めることも多かった。

 

最近後輩がバンドをやり始めて質問をしてきた。

"先輩は卒業後、辛くないですか?仕事"

って言われて。勿論フリーターだからやることはしっかりやらないといけないし。

ただ、他人の意見だけでなんとなく私もそうしとこう。みたいな考え方はやめてほしかったので

思うように進んだら良いんじゃない としか言えませんが

何でもかんでも言われた道をそのまま通っていく方法もあるけれど、自分の考えを尊重して欲しいなって思います。

 

人の将来なんて、全部自分が決めたらいい。

本当に今の人生が棒に振るのなら、変えたらいい。

そんなリスクも背負いながら生きてる

私もそう、必ずどこかで欠落して挫折する日がいつか来る。そんな恐怖心に怯えて日々過ごしてたら人生無駄すぎる。

 

小学生のとき、私はミュージシャンになるだなんて思ってなかっただろう。ちなみに小学生の時に書いた"大人になった自分へ"というメッセージに

バレリーナになってますように と書いてあった。

 

ちなみにバレリーナの夢は7年で終わった。

そこでも人は争いを続け、主役を勝ち取るか、脇役としてステージで舞ってるか っていう考えしか私はなかったので

これはもう負けだ と思い張り切って辞めて勉強に専念した。最後に踊ったバレエは白鳥の湖の"ブラックスワン役"でした。黒いレオタードだったので勝手にブラックスワンという悪い役になってしまった。

 

どこかで挫折は必ず待ってる。強く生きるために私はコツコツと毎日楽しく生きる努力と、一人の時間を少しづつ増やして、どこでしくじっても伏線を回収できるような体制を作る作業。

 

 

バンドは色々不安かもしんないけれど、達成感とお客さんから貰う言葉で生きていけます。

 

 

 

(説得力ゼロですが車内40分の旅の途中の佐野からでした)

 

本日母親が誕生日で、昨日の深夜2時に無理矢理起こしてプレゼントを開封させるという酷いことをしましたが、あげたマッサージマシーンを使って満足そうで良かったです。 母親は常に自分に自信が満ち溢れてて、私よりも数万倍破天荒で気が強い人です。将来あんなキッツイ人にはなりたく無いですけど

人間として強い親には謎に尊敬してます。恐怖心を全て切り捨てるような人です。

 

小さい時にナインチネイルズを聞かされて

私が子供いて聞かせたら絶対変な子供に育ってるなって思いました。結果として私が今こういうネジが外れてる部分もそっから来てる気がする...

 

SNSで暴れてる母親ですが優しい目で見てください。本日ツイッターのリプのハッシュタグでおかんが自ら

"母親よりブスやからってひがむな"

と書いてありました。

 

おめでとう。