無題

五月もなんだかんだ終わりが近づいてきた。

かといってまだ17日だけれども。

この数ヶ月思うことや、受け止める言葉は凄く謎に重みを感じる。一つ一つの言葉がいかに重要なのか考える時期になってきた。

自分が信頼する友人から、

"後悔してるダサい奴は死ぬほど見てきた。他人、世間、あるいは全てにおいて。そんな風にならないでね。意外と若い決断って大事なんよ"

と言われ謎にハッとした。

 

落ち着く曲を聞くと謎に焦りが出る。

本音を言うと謎に自分が思ってることを紛らわせる為にあえて安心する曲を聴く。暴力的な音でもなければ、繊細で、心が落ち着く曲。

 

決断を一つ下してしまうと自分の人生がガラリと変わる。そんなのを毎日どうしたら良いかと頭を悩ましてたら一日が終わる。

気を紛らわすことをしても無駄、出来事に直面して戦わないといけない。

そんな自信が今あるかと言われればそんなの心に余裕がない。弱い自分が嫌いなのでへんに誤魔化す作業。正直な君がみたい、と言われまくる日々、話す言葉が正直じゃないのですか?と質問したくなる

 

因みに先日、元々生活を拠点としてた所から実家へ引っ越した。そこはセカンドルームという扱いだったけれど、一人になりたい時に沢山時間を費やした場所だ、今となれば、色んな人と会って時間を費やし、会いたい人に会って心を満たし、大切な場所ではあった。

生活基準が乱れてる事も忘れてしまうくらい、自分は洗脳されてたのか、と思うくらいに

人の優しさに触れる時間が多かった気がする。

自分の感情を共有する機会が本当に多かった。

この発言はかなり自分勝手に聞こえるかもしれないけれど。

 

住みにくい環境ではあったけれど、好きな時間に色んなことが出来ることの緩みに満足していた。

けど、ただそれが自分の幸せなのかと言われたらそうじゃ無い。

 いくら自分が求めてる人に会ったり、時間を費やして一日を過ごしても一日自己険悪に襲われる日は沢山あった。それは毎度悪夢の日って勝手に思ってた。縛りというものは必ずとも必要。

少しでも自分の中で何かを規制させないと、何でもアリ、何でも許す になってしまう。

そんな自分も見るに耐えられない気がした。

 

思い出は一つ一つ大切である、貰ったもので大切にしてたものは思い出の一部って勝手に認識しててもいまとなれば唯の素材ゴミに変化する事がある。

 

この数ヶ月で沢山感じることがあった。何故か悪いことも良いことも学んだ。クソガキが何を語るんだって話だけれども、この十代の自分が死ぬほど沢山経験できたことを胸に抱きしめて、自立する為の材料を集める為の旅に出るだけ。辛いことじゃ無い。

前に進んで、よく無いことは自分で判断して、努力すれば良いだけ。毎日思うことです。

 

毎日同じ夢を見ます。前は夢を覚えることができなかったのですが、何故か今では鮮明にすべて覚えてます。これはどういうことを意図するのかが気になりますが。逆夢というものは一体 って思いますが寝ることを優先して今日も眠りにつきます。

 

みなさんが楽しく過ごせます様に、自分も

すでに生活には満足して楽しい日々を送ってる(気がする)が、いざ悲しいことが起きたときには対処ができるくらいの身構えが必要、それを踏まえてもう一度リセットして考えよう、という期間。

 

全く何にもわからない職業に来月つくことになる。

右も左も分からなければ、自分の脳みそはポンコツだ。不安ばかりだけど常に新しいことにチャレンジする、それが自分の価値観がどれだけに値するのかっていうのを自覚できるものだと勝手に思ってます。

 

おやすみなさい、今日も夜更かし、最高の音楽を聴いて気づいたら意識を失うであろう、良い夢を。